[ 葭屋橋 ]
( よしやばし )
[ YOSHIYA BRIDGE ]
東横堀川の最上流に架かる橋である。
東横堀川の北端、大川からの分流点に架けられた葭屋橋は、俗に築地と呼ばれた蟹島遊廓への通路とし
て設けられたものである。この遊廓は天明4年(1784)、葭屋庄七らによって開発されたもので、橋も天明年間
に架設されたと考えられる。蟹島の地は大川の眺望が非常によく、料理屋、旅館などが建てられ発展した。
船場の中心に近かったことから、大店の旦那衆の遊び場でもあり、夏の大坂の一大ページェント=天神祭り
の船渡御を見るには格好の場であった。
葭屋橋の架橋地点は通船の数が多いうえに、水流が複雑であるため、橋脚へ船が衝突する事故が多か
ったようである。また、大川の洪水時に、度々被害を受けたことから、架け換えにあたっては種々の技術的
な工夫がなされた。明治初年に架けられた葭屋橋は当時としては大変珍しい斜張橋の原理を用いたもので、
大変評判になったようである。
葭屋橋の通り(府道石切大阪線)が現在のように広くなったのは市電敷設事業によってである。北浜の交
差点から天満橋の南詰までの市電は明治44年10月(1911)に開通しているが、橋はその直前の7月に完成
した。一方、蟹島と呼ばれた料理屋街は道によってへだてられた形となり、しだいにさびれていった。
なお現在の橋は昭和41年(1966)に架け換えられたもので、2径間の合成桁が採用されている。

全景
左岸より
桁下
橋上道路面
高欄の橋名標
今橋と共用の高欄
「土佐堀川」 河川表示板
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[ 葭屋橋 界隈 ]
「大阪会議開催の地」碑
この店の入り口に左の碑が建っている
登録有形文化財標
「北浜レトロビルヂング」 (歴史的建造物)(1912年建築)